June 2020
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 群馬県の方が突然「牡丹」を持って来てくださいました
それをすぐに描きはじめたら その夕方 軽井沢の知人が「ヤブ椿」を沢山切って来てくれました

 
 

 偶然「牡丹」と「椿」は私がモチーフとして決して選ばないもの達です
 なぜ「牡丹」と「椿」を避けて来たのでしょう…「牡丹」を描きはじめて気付いたことは その素材と私の間に 距離を感じ続けることでした

 
 

 逗子(神奈川)に住んでいた子供の頃 砂の庭に一ヶ所だけ 黒土を入れた花壇があり 母が見事な花の「牡丹」を大事にしていました 「馬フンが落ちていたら教えてね」と云われ 荷馬車が通った後に馬フンが落ちているのを見つけると母の所に走って知らせ 母はチリトリを持って それを拾いに行き「牡丹」の根元に入れていました
 私が自由に摘んで良いのは デイジー センニチコウ カイザイクや野の草花で 「牡丹」をママゴトに使うなど思ってもみないことでした

 当時の私は 母と比べ体が小さくてカッコ悪く その上 手も不器用でいろいろな事が頭の中で空想するようには 旨く出来ません
 そして よく怒られていました

 
 

 大人になってから 母と争ったことは無いし 憎んだことも無いのに 心の奥底に幼い頃感じていた劣等感がまだ消えていなかったのかもしれません
 母が晩年暮らした吉祥寺(東京)の庭には椿を植えていて 毎年咲いた花の数を数え「来年は何輪咲くのかしら? 来年も見ることが出来るのかしら?…」と云っていました 母にとって「牡丹」と「椿」は特別なものだったのでしょう

 
 

 これほど 沢山「花の絵」ばかり描き続けられるのは 毎回違う記憶の旅を続けられるから…なのか と感じながら また 描きはじめます

 
 

不二子