December 2013
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が 母の遺品を整理していて
私に宛てた祖父母からの手紙を見つけました

 私の記憶にはない手紙を 70年経って読みました
戦争中 逗子(神奈川県)から茨城県下への疎開 そして戦後東京に戻って狭い住まいを何回も転居したことを憶えています

 その間 母は どんな思いで この手紙を残して置いたのでしょう
瓦を3枚立てて カマドを作り そこで拾い集めたたき木を使って食事を作っていた母を考えると よくこの手紙を“火つけ”に使わなかったと思うのです

 もう一通のハガキは疎開先で通った中学の校長先生からのものです
長年暮らしに追われていた私が やっと ひと息ついて 中学の友達に連絡をしたことから 思いがけず頂いた大切なお便りです
学校でこの先生のポートレートを描いた時
「目元 口元に濃い色の線を入れると 良くなるよ」と云われたことを
今でも 絵を描いている時に思い出します

※手紙全文をページ下方に掲出しています

私は重傷の喘息患者ですが 20才の時からずっと診てくださっていた喘息専門の先生も
「不二子ちゃんは天才!きっと良い絵描きになるから…」
と長い間 励まし続けてくださっていたのに
 今年8月 90才を越えて亡くなられました

祖母に遅くなった返事を書きます
「おバアサマ 不二子は 79才目前の今も絵を描くことが中心の毎日を送っています
このように 精進していれば いまに上手な絵描きになれるのでしょうか…
どうぞ これからも お力添えくださいませ  不二子」

不二子

PHOTO : YANO NAOTAKA

<手紙全文>

◆祖父からの手紙(父宛の手紙)  〈昭和15年11月(不二子5才)〉

不二子の画を見て其の進歩たるに感心した。
画人が巧みに筆を弄びたる画よりはその無邪気にしてその趣味の素朴に存ずる点(?)唯感嘆の外無く…

◆祖母からの手紙(表書きも不二子宛)  〈昭和17年6月(不二子7才)〉

不二子のおてがみうけとりました。
おジイさんもおバアさんもまた四郎さんも信子さんもみなよみました。
いくどもよみました。
そのおてがみはよくわかって 不二子の心のたんぱくできれいで
すこしのかざりけのないのにかんしんしました。
なんときれいな不二子さんでしょう。
つぎに二枚の画をみました。このごろはなかなかおじょうずになりましたのにみんなかんしんしました。
まいにち画は ひとつでもふたつでも ちゅういしてかいてごらんなさい
だんだんじょうずになります。
だんだんあつくなりますからはまべをさんぽして からだをじょうぶになさい。
はまべのくうきはきれいですからけんこうになります。
けんこうはだいいちの親への孝であります わすれてはなりません。
おとうさま おかあさまはたっといおかたですから神さまのようにつかえねばなりません。
たけおさんはなかなかかわいくなりました。またおすもうさんのようにふとってなかなかつよくみえます。
おおきくなればすぐれたひとにきっとなりましょう。
不二子さんはおねーさんだからかあいがっておあげなさい。

◆疎開先の中学校の先生からのハガキ  〈平成9年〉

井沼で別れたきり会っていませんね
あなたが井沼を出た翌年の年賀状を覚えています
葉書全面を黒く染めて雪が盛んに降っている真ん中に貴女が大きく描かれていました。
年賀状としては型破りで大人には描けない しかも驚くほど美しい一枚の絵画でした。
半世紀も過ぎた今でもはっきりと覚えていますよ
お話したいことがあり過ぎてどうしよう、又  九十五才老