〜Archive 季節便り 2015〜

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February 2015

1点の絵を描き終えると同時に題名も決まるわけではありません

「この絵《枯葉》はどうかしら?」

「それって直接的過ぎてつまらない」

「イブ モンタンの枯葉でも?(古過ぎるか)」

「《秋の寄り道》はどうだろう?」

「確かに 季節が冬になる前に こんなに木々の葉が美しく変色するのは

《季節の寄り道》かもしれないわね」

「じゃあ《秋の道草》はどうかしら?」

「《寄り道》は目的地に向かう途中チョット寄って行くって感じだけれど

《道草》には目的地がない」

「そうね 道草してないで早く帰っていらっしゃい!って叱られていたのを思い出すわね・・・」

「と・・私の場合《晩年の道草》だなぁ―」

現実は晩年だけれど 意識は現在に居続けているわけではない

行った事もない国を歩き回っているような気分になったり 若いころに行った所

その時感じた感覚を反芻したり 本を読んでいると今だって新しく「アッ!そうか」

と気付くこともある・・・

今 体が居る現実に 意識が同居している時間は結構短い・・・

私の意識は たえず夢の中に居るように 現実と妄想の間を行き来しているのです

「この作品は不二子さんらしい」とか「この絵は不二子さんではない 前の不二子さんの方が良かった」などとよく云われます
でも私は「過去の私とは別の人になりたい」と逃れられない私の殻のなかで足掻いているのです

もうしばらく《晩年の道草》を続けたいと思いながら2015年を迎えました

不二子

写真は1~4枚目までは軽井沢冬景色
5~12枚目までは上田市丸子町のカネボウ工場跡地の工房喫茶「ザイデンシュトラーセン」
最後は「秋の寄り道」です

PHOTO : YANO NAOTAKA


April 2015

私は<ヨソのおウチ>を見ることがとても好きです
インテリア雑誌の<海外セレブのお宅拝見>というような感じではなく
身近な暮らし方に惹かれます
夕暮れの道を走っている時 灯のついた窓辺に映る人影をみると
幸せそうな台所を想像して羨ましくなったりするのです
ある日いつものように絵を描いていて ふっと「この絵はどんなおウチに
行くのかしら」と思いました
この絵はある日私から離れて<ヨソのおウチ>に行くでしょう・・・
玄関に飾って頂くのか 居間の壁に飾られるのか それとも食卓の脇に
置いて頂くのでしょうか・・・
その日の楽しかった事、辛かった事を壁の絵にそっと話しかけて下さったら
どんなにうれしいでしょう

国外に住む娘に描きあがった「あじさい」の絵をメールで送りました
それを見た孫娘が初めて「この絵 欲しい!!」
娘も 「ウチの食卓に飾りたい!」と思ったそうです
私も白い壁に掛けたら似合うだろうとおもいました
そうしたら 私は娘のおウチにいくことはもう出来ないけれど
この絵がこれからずっーと彼らと一緒にいてくれるのです

老人の妄想は自分が居なくなった後の時間へとつながります

不二子
PHOTO : YANO NAOTAKA


June 2015

 私は 3年前から 冬の寒い間 軽井沢の隣町 佐久平のマンションで過ごしています。
北側の窓から見ると右の方に浅間山があります
浅間山は軽井沢の家から見ると真北にあるのに 「どうして佐久平にいるのかしら?」
車で東に向かって走り 軽井沢の家に着くと 山もいつの間にかちゃんと一緒に帰ってきています
 子供の頃 父に手を引かれ逗子の駅から夜道を歩いていると 月が家に着くまでずっと付いてくるので怖かった事を思いだしました

私は 朝7錠 夜6錠の薬を服用しています
その為に1週間分の薬を14の仕切りのあるケースに分ける作業を毎週日曜日の夜していました 
するとあっという間に1週間が終わってしまい 私の人生の残 り時間が1週間分消えてしまったと思い・・・
「あと何点の絵を描けるかしら?」と毎週日曜日の夜は焦るのです
そこで2週間分を分包することにしました 「そうしたら 少しのんびり出来るかしら?」
最初のうちは多少ホッと出来たのですが いつのまにか2週間がすぐに消えるようになり
今は時間が過ぎることが早くなったように感じています

こんな不確実な感覚に頼って毎日せっせと絵を描いていますが 
確かな事は 私の持ち時間が有限であるということ 
そして それを意識することによって無限を志向し続け 
限りなく広がる未来の世界で遊んでいられるのでしょう

不二子


August 2015

今年も軽井沢では沢山の木が伐られ 枝も落とされ 長い時間をかけて大きくなった根っこもいとも簡単に掘りおこされています
草刈機は毎日うなり声をあげ・・・小鳥や虫のおうち 狐のお散歩コースもそれだけ失われました
この大地は決して人間だけの物ではないのに 生きているすべてのものの大切な自然なのに!!
もう少し皆が知恵を持ち寄り 譲り合いながら暮らすことはできないのでしょうか
「日米同盟の強い絆で結ばれた・・・」という言葉を繰り返し聞くたびに
私は空襲で亡くなった叔父や伯母のことを思いだします 
老いた祖母はいつも凛としていて愚痴や嘆き事を一切口にしなかったけれど 
どれほどの深い悲しみを心の奥に持って生きたのだろうと 今 祖母の歳になって強く思うのです
このような過去の苦しみが繰り返されないようにと 痛切に願います

今年も樹々の緑は美しく 同じような時期に同じ花が咲き 
鮮やかな花色や可愛らしい木の実の色彩を楽しませていただいています
秋の個展に向けて絵を描いていますが
今年は特に"自然の美しい色彩"を見つめていきたいとおもっています

不二子
PHOTO : Lertpanyanuch mai


October 2015

今夏は酷暑が続き 花を採りに行くことにも 苦労していました
とある日 突然 ヒューという風が吹いて 布団の暖かさがなつかしい季節になり…
と今度は 大雨続きになり… 私は「花を採りに行けない…」と嘆いて窓を眺めていたら…
あちこちに洪水被害があり…
花どころではない方々が大勢いらっしゃるのに…と気づかされました  
被害にあわれた方々に心からお見舞いを申し上げます  

肌寒いある日 雑誌のページに オレンジ色の壁紙が目を引きました
そして出かけたら ナナカマドの実がもうオレンジ色に変わっていて…
遊歩道入口で まだ若木の実を頂き すぐに描きました

夏の暑さは あんなに辛かったのに 
秋の気配を感じるこの時期は 一年の中で なんとも心淋しい季節だと 毎年繰り返し思います  
元気なグリーンだった草や樹々の葉は 
もう秋色になって 今は 果物を描く季節の真っ最中です

10月21日から始まる丸善・丸の内での個展準備もすべて終わりました
穏やかな日が続きますように…と今秋は特別に想うのです

9月15日 不二子
PHOTO : Lertpanyanuch mai


December 2015

クローバーの葉っぱの形は不思議だし…
パンジーの花も「どうして この形なの?」と思うけれど 美しい…
 子供のころ いろいろな葉や花を摘んではジッと眺め… それを繰り返し…
飽きることがなかった記憶は鮮明です  
個展を毎年開きたくなるのは その記憶の延長線上にあるのかもしれません
植物の形や色の豊かさを追い続けると一点の絵では表現出来ず 
つぎつぎ沢山描くことになり… それをひろい会場に並べてみたくなるのでしょう
そして広大な自然のほんの一部でも手に入れたように 一瞬 錯覚するのです  
来春 軽井沢に画廊を開くことになりました

現在は そこに並べる絵を描き版画も作っています
でも"お店を持つ"なんて 想像も出来なかったことが 突然 現実になり…
今 戸惑いと不安が グルグル廻っています  スイスに滞在して絵を描いていた時のこと
住まい近くの舗道で 女の子が二人 自分達が描いた絵を道に並べて売っているのに会いました
私はお店やさんゴッコはしたけれど 絵を売ることは思い付かなかった と気付き なにか 微笑ましい気分になりました
今の私は 沢山の絵を道に並べるのではなく 
白く塗った店内の壁に掛けてみようとしているのです 2016年が穏やかな年でありますように

〈橋本画廊 軽井沢〉 来春の開廊に向けて準備をすすめております

不二子
PHOTO : Fujico