〜Archive 季節便り 2017〜

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February 2017

冬の季節がはじまったころ 花のないこの時期を どの様に過ごしたらよいのかと 暗い気分に落ち込んでいました

ところが偶然の幸運に恵まれ 東京近郊で木の枝やバラ、野の花を育てている方を 私の友人が紹介してくれたのです

その庭で採った枝や草花を毎週送って頂くことになりました

この十数年は軽井沢の植物 そして長い冬の間は花屋さんの花を描いていたので送られて来る草花は 
戸惑うほどに新鮮でした 子供のころ 逗子の家で馴染みだったものや鎌倉の住まいで育てていたものなどを思い出します

突然 時計は巻き戻されて 現実の自宅で その窓の外に広がる寒冷地の茶色と黒い景色 
そしてその次は真白な雪を眺めながら 私の内側は遠くに過ぎ去っていた湘南の風景を見続けているのです

久し振りに再会した「ネズミモチ」の枝は小学四年生まで住んでいた逗子の家に連れて行ってくれました 
海岸近くの庭は砂地で松林とネズミモチがありました 
ご近所の広い芝生の庭に美しいモミジなどがあるお宅を羨み 
当時の私は「ネズミモチ」の庭に引け目を感じていました

でも だんだん食べる物が無い時代となり「ネズミモチ」はママゴトのブドウになり 
これは私の密かな贅沢でした

今 新しい感覚で シリーズ「庭の草花を」を描いています

不二子


April 2017

私の暮らしには お茶碗とお椀がありません
ご飯 スープ そして食後のゼリーも同じ白いボウルで頂きます
お箸は竹の割箸を使っています
これはもう長い間の習慣になっていることです

今年 私の誕生日に 友人が茶碗と うるし塗りのお箸をプレゼントしてくれました
私が茶碗も箸も持っていないことを気に掛けてくれたのでしょう…
でも私はこの新しい食器を使えません
このことで私はハッキリと気付きました

逗子に住んでいた 小学3年生の時 おはなしの本で「一休さんは かけた鉢ひとつで すべてをお賄いになりました…」という一節を知りました 海岸近くの 橋の上に立って満潮を眺めていたら 川辺に かけたすり鉢が捨ててあり 托鉢の鉢は知らなかったので「これだ!」と思いジッと見ていた記憶が 今も鮮やか に残っています

それが心の真ん中に突き刺さってしまい その儘 80才過ぎた現在まで 生き方の中心にあり続けているのです

中学生になり 父が「バウハウスの構成理論」について話してくれました 22才の時 大智浩デザイン事務所の勉強会で バウハウス構成実践トレーニング を受け その後 当時バウハウス運動の中心に居た ミューラー・ブロックマンが教えていた スイスの応用美術学校に行きました

これらは〈かけた鉢〉の延長線上にあったことだと思っています

それからは生計を立てる為に いろいろな事をやって来たけれど やはり今も忘れられないのは ーかけた鉢で托鉢をし その鉢で足を洗い お粥を炊いて頂くー という暮らし方の理想です

不二子

PHOTO : 青木優子(GARDEN & WILDFLOWERS)


June 2017

軽井沢もやっと そして突然緑の季節になり…

私も衣替えをしました 数少ない去年の夏服を出してみたら まったく見憶えがありません

「あー、これ着てたのかぁ」と思い当たることもなく 新しい洋服を見つけたような感じで試着し…

6月3日(土)から5日(月)までの3日間 大森医師会館(東京・大田区)で展覧会をさせて頂くことになりました 広いホールを全部使って水彩画 版画などを並べます
医師会会員以外の方も どうぞお出掛けくださいとのことです

私が絵を描いているところの映像も…という話になり新しく撮影する時間がなかったので 古いDVD 2本を久し振りに出して観ました カメラマンの腕が良いので軽井沢の風景がとてもキレイです(これを上映する予定です)

先号の「季節便り」で「一休さんはかけた鉢ひとつで すべてをおまかないになった・・・」と書きましたが その時一休さんか?良寛さんか?と迷いながら良寛さんの漢字を思い出せなかったので一休さんにしてしまいました

今回 ビデオを観たら 私が「良寛さんはかけた鉢ひとつで…」と云っているのです  訂正させていただきます

でも 心理カウンセラーをしている友人が「同じ内容の恨みごとを 10年の間まったく同じに云い続けられる人は"病"と診る…」と云っていたことを都合よく思い出しました
蒸し暑いこの時期 お身体大切に

不二子

左上の写真3枚目から下は 長い冬の間花材を送ってくれた青木優子さん(東京)の庭
PHOTO: 左上から1~2 Fujico/3~7 青木優子(GARDEN & WILDFLOWERS)


August 2017

私の記憶装置は もう満杯に近く 壊れかけているような気がします

ひとは臨終の時 過去の記憶が走馬燈のように次ぎ次ぎ現れ消える…と聞いたことがあります

記憶をストックしている場所の鍵が壊れてしまった為に見えるものなのでしょうか…

たった1時間前のことも 3才の時見たものも一緒の場所に保管しているので 同時に開けて視ることが出来ます

今 目の前に見ている草を持って その整理が出来ていない倉庫に入ると その草にまつわるいくつもの記憶が みな目の前に並びます

描きはじめると 辛かった記憶や泣くほどくやしかった経験 そして楽しかったことも同じように懐かしく身近かに感じます

21才頃 好きだったひとが ある日「明るい陽射しの中の白いワンピースのひとが良い…」と云いました 当時私は白いワンピースを持っていませんでした

その後 彼は急逝してしまい… 

白いワンピースの映像は その後 ズーッと私の頭の中の倉庫に残っています

偶然のチャンスで 突然「軽井沢レイクガーデン」(写真)の花を採って描くことになり

そこで個展をすることまで決まりました

このバラが咲く庭で 美しいガーデナーに逢い 彼女が花を採ってくれています そのひとに「白いワンピース」を着て欲しいと思うようになり 60年の時間を越えて「白いワンピース」が出来上がりました

不二子

橋本不二子作品展 ~軽井沢レイクガーデンのバラたち~
会期:8月11日(祝)~27日(日) 場所:軽井沢レイクガーデン


October 2017

私にとっての例年行事 丸善個展(10月18日~24日)の準備が無事に終わりました

今年6月頃のある昼下がり 喘息性気管支炎がなかなか治らず 痰をゲロゲロと吐きながら いつものように絵を描いていました

と 突然 痰が気管に詰まってしまい息が出来なくなりました

お腹に力を入れて吐き出そうと何度も試したけれど・・・

ビンのコルク栓がどうしても抜けなくなった時のような感じです

手を見たら 紫色になって来ています

「私の最後って これだったんだー」

描きかけの絵を眺め

「これが 絶筆だったんだぁー」

「もう少しマシな絵描きになりたいと 随分沢山描き続けて来たけれど 結局 こんな程度だったんだ・・・」

近くに腰掛けている息子に背中を強く叩いてもらいたいと思ったけれど 体は動かないし声も出ない・・・ 彼はスマホを見ていて気付きません

「息子さんが同居なされるようになってご安心ですね」と云われているけど
「死は まったく個人に起こる事件なんだ」と思いながら もう1回と・・・
力一杯 痰を吐こうとしてみたら ピューという音がして 空気が外に出ました
この時の絶筆になりかけた絵も今回の丸善に並ぶはずですが どの絵だったのかは まったく記憶にありません  もう少し〈マシな絵〉というのも何だったのか 今 解りません ただ せっせと描き続けています 丸善で拙作をご覧頂けましたら うれしゅうございます



不二子
PHOTO: FUJICO


December 2017

私が今 座っている居間は 南東に向かって広い窓があります
窓のすぐ外は 大きなミズナラの木や栗の木の林で 陽の光は室内に射し込みませんでした

この林が11月に入ると 光るような黄色から茶色に変わり その後 日夜 ハラハラと葉が落ち続けて 月の終わりには 急に空が広くなりました

この明るくなった部屋の椅子から 立ち上がる気力もない気分になって落葉を眺めています

去年 この家に引っ越した時 ほとんどの本を整理してしまい ほんの少しだけ残しました
残った本の中に ヘルマン ヘッセの「庭仕事の愉しみ」があります どんな内容だったのかも随分長い間忘れていた この本を開いてみたくなり・・・

〈 刈り込まれた柏の木 〉
詩:ヘルマン ヘッセ

樹よ なんとおまえは刈り込まれてしまったことか
なんと見なれぬ奇妙な姿で立っていることか!
おまえの心に反抗と意志のほか何も残らぬほど
なんとおまえは幾百回となく苦しんだことだろう!
私もおまえと同じだ 切り取られ
責めさいなまれた人生を放棄せず
悩まされ通しの惨めな状態から
毎日新たに額に光をあてている
私の心の中の柔らかく優しかったものを
世間は罵倒し殺してしまった
だが私の本質は破壊し得ない
私は満足し慰められた
幾百回となく切り刻まれた枝から
我慢強く新しい葉を萌え出させた
そして どんな苦しみにも抵抗して
私はこの狂った世界に恋し続けている

ヘッセの詩は 今 室内に射し込む やわらかな光のように 私を慰めます


不二子
PHOTO: FUJICO